住むためではない 街に居場所と人を増やして行くための空き家活用とは

YONG architecture studioの代表を務める永田賢一郎さんは、築50年の倉庫をアトリエにリノベーションをし、居場所づくりをしている建築家。

今回は、建築の専門家としてどのようにこの横浜・野毛山という場所で、見る人によっては無価値に見える空き家物件を、人が集まる場所へと作り変えているのか詳しくお話を聞きました。

目次

デザインして提供するだけで終わらない。
自ら運営する空き家活用

ーYONG architecture studioとは何をしている会社なのですか。

永田賢一郎(以下 永田)YONG architecture studio(ヨン アーキテクチャースタジオ)は、いわゆる建築設計事務所です。

ただ、ビルやホテルなどといった大規模なものをやるのではなく、空き家や空き店舗などの地域のストックを活用して人々の拠点づくりに携わることが多いです。

通常であれば建築家の仕事としては、デザインして提供しておしまいなのですが、建物自体を自分で借りて場所の使い方を企画し、設計して運営まで携わることで、建物と地域に長く関わる事が出来るのです。自分としてはそこまで面倒を見て建築の仕事なのではないかと考えています。

よく「街づくりの専門の方じゃないんですか?」と言われることがあるのですけど、僕のスタンスとしてはやはり建築家なので……。建築の仕事を広げている、というイメージです。

建築をしながら縁を結び、たどり着いた野毛山という土地

ー永田さんの手掛けている物件は、その多くがこの横浜・野毛山という場所ですよね。なぜこの場所なのでしょうか。

永田 大学院時代に先輩の建築家が設計したヨコハマアパートメントというシェアアパートに暮らしていました。

そこで後に手掛けた「藤棚のアパートメント」のオーナーと知り合ったのです。

当時友人と立ち上げた設計事務所、IVolli architecture(アイボリィアーキテクチュア)でリノベーションの仕事として「藤棚アパートメント」を引き受けたのですが、この物件は藤棚商店街のすぐ近くにあります。大学院時代に暮らしていたヨコハマアパートメントも近くにあり、そのとき初めて野毛山という地域を認識しました。

友人と事務所を始めた当初は、それこそ横浜の中心地であるみなとみらいや関内エリアメインに最初は活動をしていたのです。しかし、すでに仕上がっている先人たちが作ったコミュニティの中でやるというよりも自分たちとしてで新しい場所を開拓していく必要があるなと感じていました。

そこで浮かんだのが、この『藤棚アパートメント』で携わった野毛山というエリアです。

野毛山という場所は動物園もあるし、地域でリノベーションをして拠点としている人もいるし、さらに麓には野毛や藤棚のような商店街もある。またみなとみらいにも黄金町にも繋がっている。

横浜という地はみんな港のイメージを持ちますが、実は中心に野毛山という山があります。この横浜にある山というのが実はあまり認識されていませんが、新たな横浜の魅力になるのじゃないかと思ったのです。

こういうのって10年くらい言い続けることでだんだんと認識されるようになるので、とりあえず今5年くらい言い続けています(笑)。

ー永田さんは大学も横浜国立大学出身であるとおっしゃっていたのですが、もともと横浜の方なのですか?

永田 いいえ、僕は東京の出身です。

幡ヶ谷出身なのですが、自分の地元はあまりこう…なんていうか地元感がなくて。下北沢や新宿、渋谷と隣接していて、みんな周りへと流れていってしまい、地元の輪郭というのがあまり浮かばないのです。

ヨコハマアパートメントでの暮らしで、初めて横浜のこうした土地に触れあったのですが、人との繋がりを感じコミュニティの重要性に気づきました。

それなので、ここは僕としては第二の故郷のように感じているのです。 

ーなるほど、そうしてたどり着いたのが野毛山だったのですね。ではこの『野毛山Kiez』というシェアアトリエをつくられたきっかけはどのようなことでしょうか。

永田 建築家の役割の一つに、日々暮らしている地域に貢献する、というのがあると思うんです。事務所はどこかのビルにあって、住まいはひっそりとどこかに暮らす、というのではなく、日々暮らしている地域の中で暮らしと地域に寄り添って活動する、というのが建築家の姿勢だと思っていて。そういう意味で、自分が住んでいる藤棚の中に事務所を構えたい、という思いがありました。近くには商店街があり、空き店舗の増加で苦しんでいるという現状が当時ありましたので、それならばと、作ったのが『藤棚デパートメント』です。

この『藤棚デパートメント』は事務所とシェアキッチンになっていて、事務所の半分くらいをキッチンとして貸し出しています。はじめの頃はキッチンが休みの日なんかは空いているホール部分で丸鋸をブン回したりして自分の作業もしていたのですが、ありがたいことにこの1年でキッチンの稼働率が上がり、キッチンのコミュニティやキッチンの場として『藤棚デパートメント』が整ってきたため、汚すわけにはいかなくなってきたんです。まぁ、食品と木くずが舞うような作業は相性が悪いですよね……。

そこで、スプレーを吹きつけたり丸鋸を使えたりするような、「汚していい場所を作りたいな」と思ってつくったのがこの『野毛山Kiez』だったわけです。

なるほど、それで築50年の倉庫を選ばれたわけですね。

永田 そうです。自分でコツコツとDIYをしたかったので、それにも好都合でした。

そもそも、ここは築50年で取り壊す予定の建物だったため、原状回復の必要もありません。 

自分で借りてリノベーションをし、サブリースという形でユーザーの人にも入ってもらってそこから家賃をもらい、それでここの家賃を払うという仕組みでシェアアトリエをつくりました。

今この『野毛山Kiez』には、僕の設計事務所の他にカメラマン、アーティスト、街づくり企画専門の事務所が入っています。

コロナ禍で取り組んだリノベーション工事

ー『野毛山Kiez』はコロナ禍にリノベーションをされたと伺ったのですが、良かったことや大変なことはありましたか?

永田 2020年の5月、6月は、緊急事態宣言の真っ只中だったので『藤棚デパートメント』の営業も止めました。

この期間に『藤棚デパートメント』の改修と、『野毛山Kiez』の工事をやってしまおうと思って。
ここでもやはり、自宅の近場であるというのが功を奏しました。
移動自粛期間中でしたが、誰にも会わないで歩いてきて作業ができるので。
近所に場所をもつというメリットは、こうしてフラッとこられるということだと思います。

とにかく自粛期間中は、コツコツとDIYをしていましたね。
また、近所に改修の協力してくれる友人などもいて、手伝ってくれたのも良かったです。

この「Kiez」という名前も、ドイツ語で「ご近所」という意味なのですが、こうしてご近所から力を貸してくれる仲間が集まってくれたことで、コロナ禍の作業ではありましたが少人数ながらもスムーズにできたのだと思います。

<次ページ:建築家からみた、空き家とDIY>

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この記事を書いた人

雑誌編集を経て、現在はフリーの編集ライターに。空き家や外壁塗装など家周りのライティングが得意。「家の間取」を眺めていれば、ごはん三杯までいけます。

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