空き店舗だったスペースを活用し、山形県上山(かみのやま)市に2021年5月にオープンした「harappa soba&caffe」。 今回は、オーナーであり蕎麦屋店主の中島いづみさんにお話を伺いました。
harappaが開店するまでの上山市は、他の地域でも見られる通りのシャッター商店街。そんな上山で中島さんが挑んだ、 お孫さんのいる年齢で初めての起業、空き店舗の活用、クラウドファンディングによる資金調達、地元学生との共同作業・・・。
1つ1つは大変な労力がかかり難しそうに思えることを、中島さんはどう乗り越え、店舗をオープンするに至ったのか。 今回は空き家を活用したい方にとっても、自治体にとっても非常に再現性の高い事例となっております。 貴重なお話を伺うことができましたので、是非最後までお読みください。
8人の孫がいる女性が初企業!夢のお蕎麦屋さんオープンまでのストーリー
harappa soba&caffe オープンまでのストーリー
ー 中島様はお蕎麦屋さんを開く前はお仕事は何をされてましたか?
中島いづみ(以下、中島) お蕎麦屋さんをはじめとした飲食店に勤めていました。飲食業が好きだったのでずっと携わっていましたが、限られたメニューを作るばかりだったので、面白くないなと。自分で考えたメニューでお客さんに「おいしいね」って言われたくて自分のお店を開きたいなとおもっていました。
ー そば打ちを習われたことがあるという事でしたが、どのようなきっかけだったんですか?
中島 地域の教室がありまして、老舗のお蕎麦屋さんの大将が教えて下さるところでした。近隣に製粉屋さんの工場があり、そちらの石臼館という場所を使わせて頂くことができたのでそちらで2年間教わりました。
ー お孫さんもいるご年齢で、お店を開業するというのは物凄いパワーのいることだったと思いますが、そのパワーの源は何でしょうか?
中島 ママさんバレーをずっとやっているので割と元気なほうではありますが、それでもパワーがあったり落ち込んだりという波はありました。落ち込んだ時は娘が「大丈夫だよ」って支えてくれて、身近に支えてくれる人がいるから気持ちを維持できたというのは何度もありましたね。同じ気持ちで側にいてくれる人がいることは、凄くありがたいと思います。
娘の嫁いだ上山で出会った、人と町をつなぐ地元NPO法人の支え
ー なぜ上山でお蕎麦屋さんを開業しようと思われたのですか?
中島 娘が2人いるんですが、二人とも上山に嫁ぎまして。何度か上山を行ったり来たりしている中で、シャッターが下りているのを沢山見かけて。ここでなら娘の家も近いし、お蕎麦屋さんできるかなと思ったのがきっかけです。それから何年もお蕎麦屋さんをできる場所を探しては難しいかなと諦めて、でもやりたいという気持ちが起こって…というのを繰り返していました。
ー 空き店舗が多かったようですが、今の店舗に決めたきっかけは何ですか?
中島 娘が上山温泉に連れて行ってくれた時に、帰りに面白い人がいるから会ってみたらと紹介をしてくれて。
お店を経営されている方だったのですが、その方にランドバンクさんというNPO法人が空き家バンクをやっているという事を伺って、改めてランドバンクさんにお話を詳しく聞きに行ったのがきっかけです。
【NPO法人 かみのやまランドバンク】 https://kaminoyama-landbank.com/
ー harappaをオープンした建物は元お土産屋さんですよね?ランドバンクさんからこの店舗はどうですかと紹介されたのですか?
中島 そうです。何店舗かご紹介して頂いて全て見て回りましたが、駅前で賃貸という事でここが一番良いかなと思い決めました。
ー ランドバンクさんのような存在は大きかったですか?
中島 そうですね。これまでも物件を探すとなった時に不動産屋さんをまず訪ねたんですけど、本当に物件だけを紹介して頂くという形で。でも、ランドバンクさんだと人と人を繋いでくださるんです。例えば、こんなことに悩んでいると相談するとさっと人材を繋いで下さって何から何まで助けて頂いています。
ー harappaがオープンして町の雰囲気は変わりましたか?
中島 お客さんや周りの皆さんがおっしゃって下さるのが「シャッターが開いてよかった」ということですね。駅前なので「ここ閉まっていると寂しくてねぇ」と言ってくれます。新幹線も停まる駅なので観光客の方も徐々に増えてきてはいますが、これから益々増えていくといいですね。
資金面の悩みは、柔らかな人柄にあつまる人脈と工夫で乗り切る
ー ご自分、もしくは協力者さんと進めるところで苦労したことはありましたか?
中島 そば屋とカフェ店を1つの店舗で営業するにあたって、限られた厨房スペースにそれぞれの必要な機材を入れたり、 配置を考えたりするのが大変でした。また、あまりない営業スタイルなのでお客様が混乱しないように事前にルールや発信 方法などを決めるのが大変でした。