美しい港町の風景を次世代に。助成金の活用で空き家に新しい命を。町に新しい人を。

江戸時代から続く古民家を「衝動買い」することから始まった、NPO法人中之作プロジェクト。その中心となって活動をされている、豊田善幸さんと千晴さんのご夫婦にお話を伺いました。
震災のあった福島県いわき市にありながら、奇跡的に被害の少なかった中之作地域。江戸時代は商港として栄えた名残から、港町ならではの美しい風景がある地域です。豊田さんは町の歴史を反映した建物に魅せられたことで、3軒の古民家・空き家活用を通したコミュニティーデザインのほか、中之作地域ならではの風景や暮らしを守る活動をされています。
今回は、物件取得に関する交渉の方法や活用法、資金集めから移住者を定住させる仕組みまで、豊田さんの柔軟なアイデアが非常に参考になる事例です。空き家活用や町おこしを志されている多くの方にとって有益な内容となっています。是非ご覧ください。

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豊田善幸さん・千晴さんプロフィール

本業はご夫婦ともに建築士。震災前から福島県にお住まい。
震災以降本業の依頼も多くあった時期に仕事を断ってまでこれまでの活動を続けてきたことを振り返り、「大金持ちになり損ねちゃいましたね」と幸せそうなご様子。
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江戸時代から200年以上続く、被災古民家との出会い

修復後の清航館

―現在「清航館」として活用されている古民家を購入されたことが、中之作プロジェクト立ち上げのきっかけだと伺いましたが、物件にはどのようにして出会われたのでしょうか?

豊田善幸(以下、豊田) 私達の本業は夫婦共に建築士なのですが、震災前に改修の依頼があり、家主さんにみせて頂いたのが最初に再生することになる古民家との出会いでした。江戸時代から200年以上続く”船主さん”のご自宅で、建物の床面積が90坪もある大きなお屋敷。長い歴史と趣きを感じられる古民家で、その日は自宅に帰ると「スゴイお宅をみせてもらったんだよね」と興奮して話し込んだ程でした。

それから数ヶ月経過し、家主さんと改修の打合せをしているとき、震災が起こってしまいました。当時一番気に掛けていた建物でしたので、隣町に事務所を構えていた私もすぐに駆けつけ、多少被害はあるが構造的には問題ないことを確認。十分再生可能である旨を家主さんへお話したところ、既に自治体への解体申請を提出されていることがわかったんです。

―歴史の長い建物を家主さん自身が解体を望まれるというのは、どのような理由があるのでしょうか?

豊田 中之作地域は震災被害が極めて少なく、太平洋側沿岸の被災箇所をすべて見て周った方でも驚かれる程の被害の少なさでした。しかし、高齢化が進む地域ということもあり、震災直後から自治体による「解体助成」が実施されていたんです。「解体助成」とは、自治体のサポートにより希望すれば無償で解体できる仕組みのこと。年齢など様々な要因で、高齢者世帯など多くの方が取り壊しを希望されていいました。そのため、当時の家々には解体申請したことを示す”申請書”が掛けられていた状態だったんです。

「清航館」となった古民家も、まさにそのうちの一軒でした。家主さんは当時80代の一人暮らし。江戸時代から200年以上住み継がれてきた建物を、引継ぐ先が無いことで解体を決意されていたんです。私は「歴史的にも価値のある地域の財産をどうにかして残せないか」と考えるうち、「残せるのは自分しかいないのでは」という想いが湧きました。建築士として本能的に「残さなくては」と思ったのかもしれませんね。

使命感と情熱に突き動かされた「清航館」の活用。

修復中の清航館

―古民家を譲って頂く交渉は難しいと聞くことも多いですが、家主さんには快く譲って頂けたのでしょうか?

豊田 7月に相談を始めて、最終的に11月に譲り受けることができました。交渉の初めの段階は「歴史ある建物なので残しましょう!」とお話しても「余計な事しないで」「ほっといて」とまったく聞いてくれない状態でしたね。それでも「この建物は残す必要がある」という強い想いがありましたので、じっくりと交渉を続けていきました。

そうして何回か話を続けると、、地域の区長さんも説得に協力してくださることに。「個人の問題だけでなく、この建物は中之作地域の大切な風景の一つなんです」と根気強く説得を続けることで、約4か月間を掛けて納得して頂くことができました。

それから中之作プロジェクトを立ち上げ、市内の若い方を中心に協力を募って修繕をすることに。建物の再生までには延べ1,000人以上の参加協力があり、工期は約2年半程かかりました。泥んこになりながら修繕した清航館は、参加者それぞれの想い入れも強いことから、現在はコミュニティーの拠点であるレンタルハウスとして活用しています。その頃私達も中之作に移住し、プロジェクトを本格的に進め始めたのが約9年前のことです。

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