美しい港町の風景を次世代に。助成金の活用で空き家に新しい命を。町に新しい人を。

目次

満月の夜に宴会を。DIYで生まれ変わった「月見亭」

カフェ「月見亭」

―清航館完成、中之作プロジェクトが始動したことで、地域の状況など変化はありましたか?

豊田 いえ、住民の方の反応はまだ冷ややかなものでした。清航館以外にも残したい家が地域に沢山あり、高齢化によって空き家も年々増えている状況。しかし「空き家を譲ってください」とお願いをしても、すんなりと協力してくれる方はなかなかみつからなかったですね。

その状況を踏まえ、私達は地域をまわり、”空き家調査”を始めることにしました。区長さんに許可を得て調査をしていると、幅60センチ程しかない細く長い小道の先に、古ぼけた建物を発見したんです。アンコールワットの様にぐるぐるっと蔦が巻き付いた建物でしたので「これなら譲ってもらえるかも!」と早速家主さんへ交渉に。でも、この物件もすぐには譲って貰えませんでした。

それでも粘り強く交渉を続け、年間3万円の家賃でお借りできることに。床が落ちたりもしていましたので安全面の懸念も伝え、大規模な内装修繕を行う許可も頂いたんです。場所は細道の先の小高い丘の上、月が綺麗に見える場所でしたので”ここで満月の日に皆と宴会をしたいなあ”という願いを込めて「月見亭」という名前にすることに決めました。

小高い丘の上にある月見亭

―1軒目と同様、交渉は難航したのですね。2軒目の月見亭はどのように修繕し、現在はどのように活用されているんですか?

豊田 空き家対策が必要な地域ですので、建物の修繕や活用ができる人を一人でも増やすことが大切。そんな想いからDIY教室を開催し、技術を伝えながら実際に作業して貰うことで、月見亭の修繕を進めていったんです。大工さんや左官屋さんにもご協力頂いて、床貼りや壁塗り、その他の修繕や塗装の方法なども教えていただきました。多くの参加者の協力もあり実質3年程で月見亭は完成しました。

月見亭は、初めはプロジェクトのメンバーが運営するカフェとしてオープンしたんですが、働いてくれていた女性が独立を希望。熱心に働く彼女の希望を汲んで月見亭をお任せし、現在はそこで独立してカフェを運営しています。そして今では、行列ができる程人気のお店になってしまったんです!

―それは素晴らしいですね!若い方が来てくれることで、地域の方々との関係性に変化はありましたか?

豊田 月見亭の修繕を始めた当初は、「若い人が来るように空き家活用をして、町を元気に」と訴えても、積極的に協力してくれる方はいませんでした。でもDIY教室を続け、皆で楽しそうに作業し始めた頃になると「カフェはいつできるの」と、少しづつ声を掛けていただけるようになったんです。この頃やっと、不審な団体じゃないと理解して頂けたのかもしれません。嬉しかったですね。

さらに今ではカフェに行列ができたり、若い方が町に来るようになったことで、地域との距離感もより近くなってきています。最近では、カフェのお客さんに道案内をしてくれる方もいらっしゃって。若い方と触れ合う場ができたことで、地域の方も喜んで下さっているようです。

そして月見亭が完成した後、新たに3軒目の家主さんへお話に伺った時「あら、相談しようと思ってたんですよ」と言われちゃって。私達もただただ楽しんでやってきた活動でしたが、この時は今までの活動が報われた思いもありました。これまでの努力や工夫の積み重ねの成果を、少しづつ感じ始めてきたのがこの頃です。

*  *  *

悩みのタネの資金面は、柔軟なアイデアと笑顔で工面。

ワークショップの様子

―豊田さんの様に空き家活用をしたい想いがあっても、資金面で困られる方が非常に多いようです。資金面でのご苦労は特に無かったのでしょうか?

豊田 そもそも初めの清航館の購入が自己資金での衝動買いでしたから、正直一軒目で資金的には底をつきました。私は50代なんですが、年齢的に夫婦連名で資金を借りても修繕費用には足りない見込み。自治体などの助成金を調べて、できる限り活用していくしかないと考えました。

当時は震災による復興支援金があり、自治体だけでなく国からの支援も普段より潤沢にあったんです。しかし、沢山の申請を提出したものの、しばらくは連戦連敗。なんとかしなければと思い、他の方が申請して助成が下りていた届け出の内容を一生懸命分析しました。そうすると申請が通りやすい書き方があるのだと分かったんですよね。これを踏まえて想いを再度言語化し直したところ、助成が下りる機会が増えてきたように思います。

試行錯誤しながら申請を続け、最終的に約3千万円程度の資金を集めることができました。それから、地域や知人の協力を仰ぎながら古民家修繕のイベントを開始。本業を通して関わりのある建材屋さんに、古い材木を譲って貰ったり、企業から無償で建材を提供頂いたりもしました。少しでも御礼になればと、震災復興に協力した企業として広報誌でご紹介したのもいい思い出ですね。そうやって結果的にですが、ここまで無借金で活動することができました。周囲の皆さんの助けにも、本当に感謝しています。

―建材の集め方などは非常に面白いアイデアですね。また、助成金は申請書類の書き方にコツがあることも参考になります。では月見亭の時はどのように資金を工面されたんですか?

豊田 一軒目の清航館は文化的価値もある建物でしたので、修繕には大変気を遣いました。しかし月見亭は築50年で、放置すれば数年後には修復不能になってもおかしくない物件。ある意味気楽に、資金的にも無理のない範囲で修繕しようと、2人で話をしてから始めたんです。

資金としては、福島県の復興助成金を3年連続で活用しました。助成金の支給要件としては、施設整備には使用できない助成金。そこで、DIY教室の運営費用として活用し、教室内での実習を通して修繕を行うことにしたんです。空き家の修繕をできる人が増えるきっかけにもなったので、良い使い方だったと思っています。

もちろんDIY教室だけでは修理しきれない部分もあったので、ほかの助成金なども活用しつつ進めていきました。

ちなみに、カフェとして貸している月見亭も、”家賃”ではなく”施設機器利用料”として月3万円貰う仕組みにしています。年間36万円程ですが、これも中之作プロジェクトの大切な運営資金。初めから資金集めは苦労していますが、常に笑顔で楽しみながら乗り切っていけていますね。

写真教室の様子

<次ページ:若い世代の移住を定住へ>

1 2 3
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

特区民泊アパートメントホテル運営中のフリーライター。感性に触れたコトを読み手の暮らしに触れるモノに。出雲に生まれ、もう長いこと大阪で暮らしています。

目次