連載:神戸市灘中央市場『いちばたけ』インタビュー
8つの商店街と4つの市場がある神戸市の水道筋界隈、大きなショッピングモールには無い〈生活に密着した気さくな雰囲気〉が魅力。なかでも大正14年にできた「灘中央市場」は、一歩足を踏み入れると昭和にタイムスリップしたような雰囲気。このエリアに2年ほど前の2019年春、空き店舗の跡地を活用してつくられたのが、なんと「畑」。その名も、市場の畑だから『いちばたけ』。全国的にもユニークなこの空き地活用の取組み。まずはその現状について、弊社代表・和田貴充が伺いました。
このユニークな取り組みの登場人物は、神戸市職員で、まちづくりを担当していた佐藤直雅さんと、農業を担当していた丸山公也さんのアイデアに端を発し、ふたりで「チームカルタス」を結成。同地域でコミュニティづくりに携わっていた坂本友里恵さんも合流して日常の管理や運営、企画を進められてきました。みなさんにお話を伺いました。
たった一つの畑から、まるで草花のように「可能性」という芽が伸びていく──
神戸市水道筋界隈の「灘中央市場」で行われている空き家を活用した町おこし。
母体となっているのは神戸市職員の佐藤直雅さんと丸山公也さんが結成した「チームカルタス」。そこに同地域でコミュニティづくりに携わっていた坂本友里恵さんが参画されたのですが、もちろん市場の人たちも積極的に取り組んでいます。
連載第3回目は、灘中央市場協同組合の理事長・藤原明さんと、防災空地理事の森本元気さんに、弊社代表の和田がお話を伺った様子をお送りします。
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個別に話をすれば、通ることもある
──まずは藤原理事長に伺いました!
和田 面白い商店街ですね 。
理事長 面白いでしょ。理事長が面白いからね。
和田 自分で面白いってのもなかなかですけど(笑)。それにしても、空き店舗を活用して、すごく活発ですね。
理事長 今年に入ってから急に風が吹いてきたね。空き店舗はそれぞれ問題抱えてるから、貸したり売ったりせずにほったらかしにしとるんやけど、個人的に頼めば実は対応してくれるところが多いから、それでかもしれないね。
和田 理事長は何年ぐらいこの場所で?
理事長 生まれたのが店の2階だから、かれこれ65年。 ここから小、中、高、大学、いや 大学は行ってないわ(笑)。だから店とか町並みの移り変わりとか、ずっと見てきてるよ。
和田 全国の他の商店街を見ていても、昔からいる人と新しい人の融合って難しいんですが、こちらの商店街は新しいものをちゃんと受け入れる姿勢がすごいと思います。
理事長 アーケードの水道筋の商店街のメンバーが結構やる気があって、それに触発されたというのもあるね。以前はあまり接点がなかったんだけど、”紙皿食堂”という市場内の食べ歩きバイキングイベントを一緒にやって以来、色々とやるようになった。
コロナでずっとこんなだから、他にも合わせて7団体、一緒にまとまってやって行かなければって思ってるよ。
和田 新しい人が入ってくることについてはどうですか?
理事長 大歓迎。もちろん、業種やその人柄にもよるけどね。
編集
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時代の変化とともに市場の勢いも失われた
──続いて森本理事に伺いました。
和田 元々こちらで商売をされていたのですか ?
森本 僕で5代目です。昨年ちょうど90周年を迎えました。
和田 看板に創業1930年って書いてありますもんね。ということは商店街もそれくらい古いということですか?
森本 そうですね。
坂本 大正14年からです。
和田 すごい!
森本 戦争でも生き残ったってことですよね。
和田 焼け残ったってことですか?
森本 この3軒の一角だけ残ったそうで、建物は倒れたけれども起こしてみたいな。
和田 そして少しずつ周りができて行って……。
森本 そうそう 。
和田 それでアーケードができてって感じですね。
坂本 阪神淡路(大震災)でも無事でした。
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和田 ところで森本さんは、いつ頃お店の跡を継いだのですか?
森本 リーマンショックの前でした。その頃はまだうちのお店も昇り調子で、リーマンショックの後も多少は良かったんですよね。
和田 当時はまだ人の流れは良かった?
森本 シャッターを閉じている店は多かったんですが、それなりに活気はありましたよね。
ですが、リーマンショックの2年後ぐらいから企業のお歳暮などの需要も無くなって……それからですね、本当にお店が減り出したのは。
和田 企業との関係性があったということですね?
森本 結構ありましたね。例えば神戸製鋼さんの寮がこの辺りにたくさんあったんですよ。
その寮に住むお客さんが昔はすごく多くて。別の場所に移転されたことも関係して、市場も弱って行ったっていう感じですね。